仕事がつらすぎてヘラって幸せについて考え直した

るーとです。

今回の記事は、前回の記事の続きのようなものです。せっかくの自由時間を、だらだらようつべを見て潰してしまう自分にヘラって書きました。思考整理用のカス記事です。

ワークライフバランス

仕事に関して

今、僕が働いているのはニートになるためです。今の仕事を辞めて、できるだけ長い期間働かなくて済むように働いています。もちろんFIREとかできればいいですが、そんな成功は考えていません。あまりお金を使わない性格なので、しばらく社畜すれば数年ニート生活をエンジョイできると思ってます。最悪生活保護でも実家でも使って細々と生きていこうかと考えています。

社会人になったらお金に余裕ができて、ちょっと大胆に使えるようになるとか聞きましたが、僕の場合は逆で、余計にケチになりました。仕送りなしのバイト生活をしていた留年時代に比べて収入は大幅に増えましたが、労働のストレスに対して貰える給料の量がバイトの頃より悪くなりました。ちょっとした買い物でも「頑張って働いたお金をこれに使うのか…」って思うことが増えました。将来に向けて貯蓄はしているので一概に比較はできませんが、幸福度は大幅に下がりました。

趣味に関して

前の記事にも書きましたが、眠くて翌朝から仕事あるのに、だらだら甘いもの食べてようつべ見て時間を溶かす良くない日々が続きました。酒とかタバコとかに比べると健全ですし、脳死でようつべを見ることが良い休息かつストレス発散になっていればいいんですが、欲のコントロールはしたいところです。
快楽には中毒性があり、調べれば調べるほど社会が中毒性・依存性のあるもので出来ていることが分かりました。そこで健全に仕事のストレスを発散できるよい方法はないかと考えたわけです。(まあ退職が最強なんですが)

仕事を趣味にすることができれば一番いいかと思います。やりたい仕事があれば人生ハッピーだったかもしれないです。やりたいことが見つかればがっつり集中できるタイプなので仕事も上手くいくだろうと思っています。マルチタスクと対人スキルが求められる今の仕事は適正なさ過ぎて無理です。幼少期から将来の夢がなく、就職活動でも結局何も定まらずバイト先に就職するっていうパターンになってしまってこうなりました。仕事は続けていれば楽しさが分かってくるとも聞きましたが、バイト時代から続けていてこれなのであまり期待していません。やりたいことが分からなくても、そこそこ向いてそうな仕事に就くってのができれば良かったんですが、変に完璧主義な性格もあって無理でした。就職活動に関してはまた別の記事で書きたいと思います。

仕事自体が趣味じゃなくても、自身の健康とか社会的価値向上に繋がる何かを趣味にできればそれもよさそうです。筋トレとか勉強とか。

入社したての頃は、仕事が嫌すぎて英語の勉強をしていました。あのときはオンオフの切り替えが上手くできていなかったんだと思います。勉強が楽しくてやってたわけじゃなくて、すぐ辞めても転職できるように何かをしないといけないという気持ちからTOIECの単語帳を眺めていました。でも今はモチベが下がってあまり勉強してません。
ストレス発散のためではなく、ただ「何かをする」って決めるだけである程度人生モチベは保てる気がします。

結局趣味って強引に決めようとしても無理で、気分と環境によるし、自分の好きなものって既にある程度決まってると思います。結局新しいゲームやるだけみたいな。(ちな今の生きがいサンブレイク)

多少不健全であっても、満足感や虚無感、後の生活への影響を考えて、快楽というか趣味を嗜めたら別にいいんですよね。快楽と代償をどこまで許容するかで、気づかないうちにそれを決める意識自体が歪むまでいくとちょっとだるいぐらいです。
なんも考えずに貪る快楽もいい経験になったり、人生を豊かにしてくれたりするのでなんとも言えません。脳をシンフォギアに破壊されて毎日パチンコ屋に通ってた時期は仕送り溶かしまくって、パチンコ打ってる間にテスト終わってて単位も溶かしましたが、今はやめていい思い出になってるので。



…いややっぱりさすがにこれは良くなかったです。おとうさんおかあさんごめんなさい。

親の働き方

僕の父は仕事人間で、朝早く家を出て夜遅くに帰ってきてました。週末もよく仕事に行ってた印象です。「女は家庭、男は仕事」のよくいる昭和人間で、父に育ててもらったという認識はありません。数年前に帰省した時に、本人も子育てはしていないという風に言ってました。
そんな父も仕事を趣味だとは思ってないようですが、「生活の軸を仕事にしたほうがいい」とは言われたことがあります。少しズレるかもしれませんが、それを僕は「趣味にのめり込むと仕事がしんどくなる」という風に考えました。趣味で人生モチベを上げることも大切だと思いますが、無理にでも仕事モチベを上げることが最も楽に過ごす方法であり、仕事の成功が近づくことでさらに楽な生き方に繋がるのではないかと。今自分が社会人になって生活スタイルを模索しているので、参考にしています。
ただ僕の「プライベート最優先」「あまりお金使わない」「労働かなり嫌」という性格上難しいかなとも思っています。

ちなみに父の職業はゆゆうたのあれと同じです。

欲求・快感について

快でも不快でもない「0」の位置

詳しくは忘れましたが、ようつべで見た配信者のタバコの話が印象に残っています。
一般人の普段の状態を0、快楽を5としたとき、喫煙者がタバコを我慢している普段の状態はマイナス5だと。ただタバコを吸ったときに1になり、6上がる快楽を得られる、という話です。

快楽が強ければ普段から不快になる、というか欲求が満たされていない状態が不快になるのはだるいですね。社会生活に悪影響を及ぼすほどの中毒は問題だが、そうじゃなければ快楽を浴びまくったほうが幸せではないかとも考えましたが、成立しなさそうです。我慢する時間を耐えるか生活への悪影響を耐えるかです。

禁欲で「0」位置を高める

一般に中毒性があってリスクがあるとされているギャンブルやタバコをやらなかったとしても、人間には三大欲求があります。無趣味(なんの中毒にもなっていない)の人でも欲とその欲が満たされない不快感はあります。寝ること自体が良いことで、寝すぎとか中毒とかあっても多おそらく知れてるので睡眠欲は問題ないと思います。むしろ睡眠欲を別の欲で上書きしようとしている自分が嫌で苦悩しています。問題は性欲と食欲です。

性欲は人間の三大欲求なんで邪魔以前に人間が人間である要素だとは思うんですけど、それでも他の数多くの欲を満たそうとする際に邪魔になりがちです。よりよく現代を生きようとする個人にとっては性欲は不要です。(「彼女いない歴=年齢」のバキバキ童貞並感)
別にキモオタじゃなくても性欲って個人にとっては悪影響しかないと思っています。痴漢する、女に貢ぐ、風俗に行く、これら全て性欲を満たす以外の面で考えるとマイナスの行動ではないかと。シコるのも時間の無駄とも言えます。女と抱く喜びを知らない童貞だからとかそんなものは関係なくて、ただ欲を満たす喜びによる幸せはマイナス面をも含めて欲がないときの幸せを上回っているのかいやいないだろうと思っているのです。マイナスは行動に移さなくても、「タバコ吸いてぇ」と同じように「ヤりてぇ」「しこりてぇ」って思うだけで(潜在的なもの含めて)ストレスを感じるはずです。まあこれに関しては後述します。

一生独身でも、それもひとつの生き方として認められる時代になっている気がしますし、ガキ作って育てるのにも莫大な金と時間がかかるので別に良くないかと思っているのです。

性欲はオナ禁である程度落ち着きます。あと気持ち程度に「性欲を抑える食べ物」的なやつ食べるとか。しこりたい気持ちを抑えるのに無駄なストレスをためずに済みます。オナ禁は最初こそつらいがオナ禁が長く続けば続くほどオナニーしなくなります。
このまま一生ちんぽ使わなさそうなので、オナ禁で無駄な時間とエネルギーを抑えようと頑張っています。

食欲は性欲より難しいと思っています。性欲と違って個人が生きるために必要不可欠ですが、必要な分以上に過剰に摂取してしまいがちです。砂糖や小麦など地味に中毒性のあるものが多いのも難しいです。寝る前にだらだらお菓子食べて睡眠時間を削ってしまう以外にも、食事の影響は身体に直接出ます。生活習慣病が増え、デブが増えたのがそれです。

現代社会に溢れているでかい快楽を排除していっても、食は終盤まで残るんじゃないかと思います。
実際今の僕は過食気味なので、食生活の改善が今後の課題です。
なんか修行僧に向かってるみたいですね。もうしばらくしたら「排泄が趣味です!」って言ってるかもしれません。

趣味の形も難しいですね。中毒と近い。
ネットで全国の猛者と対戦できるようになったおかげで、リアルコミュニティで最上位ってだけでは趣味特技の主張がしにくくなった世の中。そもそも排便が趣味として成立していいのかは疑問ではあるが、「スマブラが趣味です!でもB技しか出せません!」って人のスマブラ趣味を否定するのは良くないと思うので諸説。「お前の趣味排泄やのに水撥ねさせずにうんこ落とされへんの?」とかなしで。

「0」位置は相対的 絶対値は小さく

タバコの快楽の話をしていた配信者は、マイナスから一気にプラスになるその快楽はタバコを吸ってみないと分からない。その上げ幅を取りに行く生き方もありではないかと話していました。
個人的には嫌ですが、一理あると思いました。喫煙者はただその一瞬に幸福を凝縮しているだけであって、総量自体は変わってないんじゃないか説です。

僕は、幸せはある程度相対的なものだと思っています。それは他人と比較してというより、過去の自分の人生と比べてです。もちろん他人の人生が知識として自分の中に入ってくることで変わるところはあると思います。そこはよくある「他人を気にしない」とかのメンタルコントロール次第かと思ってます。
タバコに限らず、長時間うんこ我慢した後トイレに駆け込んで開放する瞬間クッソ気持ちいいじゃないですか。不快だったからこその快感。あと「学生時代の休日」と「社会人になってからの休日」ではありがたさが違う。
自由不自由も似てると思ってます。

ただこの説だと記憶がないと幸福度とか存在しなくなるので、生まれつき持っている欲の満たされ具合とかもさすがにあるかと思います。「記憶に関する脳の部位だけでなく、快不快が直接判断される部位の構造が過去の快不快によって変化するので過去の人生による」とすれば記憶なくても説貫けるので諸説ですが。
実際初めてスロット打ったときはGOGOランプが光ってもなんも気持ちよくなかったのに、だんだん体が求めるようになっていきました。辞めて1年以上経った今でもこのマークを見るとちょっとあの快感を思い出します。
ソシャゲのガチャもそうですが、当たりを期待・想像するだけで人間は気持ちよくなるそうです。
多分もう一回いけばまたすぐハマります。

「快・不快」と「幸せ」を一緒にして考えようとしていましたがそれは良くなさそうです。ドーパミンでしか幸福を感じられないわけではないので。
なんにせよ三大欲求が満たされていないのと自己実現欲求が満たされていないのとでは、幸せ具合も変わるはずです。
僕の感覚では穏やかな人生ほど幸福度が高そうに思えるので、掛け算みたいに平らなほど合計値がでかくなる説もあるのではと考えています。(4×6<5×5的な)
単純に時間かもしれません。
まあ結局他人の意識を感じることはできないので実際にどうかは分からないですが。
ホメオスタシス?もそうですが、そもそも世界はなんか「安定」しようとしていて、快不快の変化自体がストレスになっていて合計値が減っている説もあるかと思っています。飽きやすさと、その飽きをどれだけ不快に感じるかにもよりますね。

まあなんにせよ僕は山あり谷ありの人生より凪いだ人生を送りたい性格なので、あらゆる不快を避けて生きます。

微弱な快・不快

岡田斗司夫の動画で、世界的IT企業は微弱な快楽で人類をコントロールしようとしている的なやつがありました。欲を満たせる可能性がある状況下では、不快として認識していなくても、脳にはその欲を抑えるための負荷がかかっているという実験の結果が紹介されていました。
覚醒剤やコカインなど非常に強い快楽は法律で禁止され、酒タバコギャンブルなどの快楽は年齢制限と税によって規制されるが、弱い快楽の砂糖やネットサービスはビジネスとして成立しているわけです。

デザイン経営論の授業でひたすら食生活に関して話していたおじさんを思い出しました。

ツイッターようつべを見ない不快は意識に上がってこない程度の不快であり、普段のマイナスがその程度なら別に良いのではと感じます。しかし、問題は「欲を我慢する不快」ではなく「生活への悪影響による不快」です。微弱な欲に行動を自然と操作され、地味に生活に悪影響が出て、地味に幸福度が下がるわけです。
「うんこしたい→でも我慢」と「うんこしたい→漏らす→終」ぐらい明確であれば意識で選択できるんですが、ツイッター閉じてまた開いては脳死なので難しいです。

あと眠いときは意識自体が弱っている気がするので、だらだらソシャゲしたりようつべ見たりお菓子食べたりするのを辞めにくくなっている気がします。

終わりに

そもそも意識自体がよく分かりませんが、クリアなでかい意識で良い人生を選択していきたいです。

メンヘラクソ雑長文を書きましたが、要するに夜更かしせずにちゃんと寝たいってことです。

実際そこまで細かいこと考えて生活してるわけじゃないです。ゲームしますしたまに音楽も聴きます。

特に終盤思ったことを書き散らかしただけで、自分でも何書いてるか分からないぐらいでしたが、こんなカス記事をここまで読んでくれてありがとうございます。気が向けばリライトします。

「ありがとナス!」


結論

精神は肉体があってこそで、魂なんかはない。肉体という枷から解放されて精神だけで生きるみたいな話があるが、電極に繋がれたその脳という肉体は残り、強い快楽を浴び続けても欲は際限なく溢れてくる。精神ですら不自由。身体以前に自分の意識すらまともにコントロールできない。人間は弱い。無へ還ろう。死こそが真の救済。It all returns to nothing.





…別に仕事がつらくて自殺しようとかではないので大丈夫です。
クリアな精神はまず健全な肉体作りから。
自殺するぐらいなら会社破壊します。

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